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Showing posts from December, 2015

2015/12/31 台北: Uber

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空港への帰りは、ホテルにタクシーを呼んでもらいました。待っていたタクシーは、黄色ではなく、車上の標識も無い、グレーのBMW。運転手は日本語を話し、それが却って怪しさを引き立てました。しかし、確かにホテルに伝えられた車の特徴通りで、ナンバーも合っていたため乗車。 乗車後、背もたれに挟まれていたプラカードを見て、この車が、かのUberなのだと分かりました。ホテルは手数料を取らず、それを踏まえても、通常のタクシーよりも安かったです。 帰国後、タイミング良く実家で年越しそばを食べ、新年を迎えました。

2015/12/30 台北: 台北霞海城隍廟

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この日は、大学時代のルームメイトと会う約束をしていました。 2020/02/11 追記: この施設は、 2年後に訪れた時もまだ建設中 でした。 彼の地元の、桃園市のお寺を案内してくれる予定でしたが、あいにくの天気で、台北市内のお寺に変更。幸い、私が今回の旅行で予定し、時間が取れなかったお寺と分かりました。雑誌やTVで紹介される事も多いです。 彼曰く、本来は金運の神様だそうですが、境内の説明では、3種類の神様を祭っています。国境を超え、話に尾ひれが付いたのかも知れません。多数の訪問者。日本語通訳のサービスがあり、ビジネスの側面も大きいです。 尚、撮影は自由でした。 幸せな結婚生活と家庭円満を祈願します。 【本廟の英雄、義勇公】出身地の違いによる抗争の際、城隍爺と信徒を守って犠牲になった若者たちを祀っています。有形・無形の邪悪なものを追い払い、物事が順調に運ぶように見守っています。 【観世音菩薩】人々に知恵を授け、永遠の平安と幸福をもたらします。 彼の友人が経営する、 桃園市のコーヒー店 へ連れて行って頂きました。スタバで10年勤めた後、独立したそうです。 桃園市から台北市まで、かなりの距離があり、電車で帰る事になりました。 英語を話せる販売員がおらず、かなり心配でした。どうやって無事に戻って来られたのか覚えていませんが、親切な方だったのを覚えています。 何とか臺北車站まで戻る事ができ、ここから更に、ホテルのある三重区まで戻ります。 ここは多数のお店が入っており、お土産を買い、荷物が増えて重かった記憶があります。この時の経験から、 2年後の旅行 では、臺北車站の近くのホテルに泊まりました。

2015/12/29 台北: 故宮博物院, Taipei 101, 都一処

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故宮博物院の2日目。1日で周るのはとても無理でしたが、2日で完遂しました。 年末だからか、バイクの飾り付け。 日立の看板 旅行の後で気付きましたが、建設中のTaipei Performing Arts Centre (TPAC) という建物。設計はOMA。OMAの仕事は、Microsoftの出資で建設されたシアトル中央図書館や、北京の中央電視台 (CCTV) があります。 インドにあるという「世界で最も高額な家」に似ていたので撮影。でも違う建築家でしょう。写真右側は 前日の士林夜市 です。 故宮博物院を1日で周るのはとても無理でしたが、2日で完遂しました。2日連続立ちっぱなし、足腰がヘロヘロで、死にそうでした。 写真は敷地内のレストラン。大きく2つのグレードがあったのですが、その内の高い方が目を疑う程でしたので、ここでの食事は諦めました。 怡客咖啡(Ikari Coffee) で休憩。この時点では、大阪駅にも入っている、いかりスーパーの系列と思っていましたが、無関係のようです。 故宮博物院を夕方まで観覧後の強行スケジュール。今回はTaipei 101を周る機会はありませんでした。 代わりに、日本に無い、このスペインのカジュアルブランドだけは行っておきたかった。 どういう意図か分かりませんが、右側の集まりはサクラだと思います。私が言うのも何ですが、挙動不審だったのと、あの寒空の下、短パンはあり得ないと思ったのを覚えています。 政府の建物を使用し、街中で堂々と何かのコンサート。フォルクスワーゲンがスポンサーの一社。観客の多さの割に声援が無く、盛り上がっているのか何なのか、やや奇妙でした。 事前にこの店の棒餃子をチェックしていました。20:30に到着し、注文の後、閉店が21:00と判明。すべてテイクアウト。店員に「スープも?」と聞かれ、「出来る?」と聞いたら、大ウケで「分からない」の回答。しかし、すべて包んで頂けました。

2015/12/28 台北: 故宮博物院, 士林夜市, 士林慈誠宮

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ホテルのある雑居ビルを出たところ 各駅前の、日本ならハートインがある場所で、寿司をメインに販売。各駅前です。 故宮博物院は、ツアー客、特に中国からの10〜20人の団体が、数分置きに押し寄せ、観覧に不便なところがありました。同じ中国でも、おそらく香港か、静かに観覧する団体も居ましたし、日本からの団体も少なくなかったです。 これまで、中国美術は典型的と思っていましたが、何千年もの歴史がある大陸なので、時代や国が変わるごとに、相当変化がある事が分かりました。 新石器時代・戦国時代は、ギリシャかエジプトか、西洋の雰囲気があり、とても紀元前とは思えないような、アバンギャルドな彫刻があります。宋から明にかけては、ゆるキャラ的なユルさがあります。 清の時代になると、偏執狂的なものが出てきます。乾隆帝が凄まじいコレクターで、書においては、これまでの人生で見た事が無いような、素晴らしいものがありました。字なんて読めれば良いと思い生きてきましたが、決してそんな事はないと思いました。 タイトなスケジュールでしたが、博物院の最寄り駅すぐの、士林夜市で夕食を考えていました。 台北最大の夜市と言われる、士林夜市。屋台の料理は、まずいとは言いませんが、好みではなかったです。また、有名な夜市だけに、料金が高めのようです。 会社で配る、数十個単位のお土産。リーズナブルなものが見つかり、助かりました。 風が強く寒い日でしたが、とにかく一通り周っていたところ、写真の神社が忽然と現れました。あまりに周囲と雰囲気が異なるので、好奇心からフラフラと入りました。 お参りをする場所と分かりましたが、繁体字の説明しかありません。すると、シンガポールからか、お参りをしている客が英語を話すのが聞こえました。そこで、お参りの仕方を教えて頂きました。 器の中に、半月の木彫りの札が沢山入っています。その札を2つ両手に持ち、3回お辞儀の後、下へ落とす。片方が表、もう片方が裏になるまで、数えながら続ける。番号別におみくじが入っている棚があり、成功した時の数の番号をもらう。 私は一度で済み、「甲子」のおみくじを取りました。これも、すべて繁体字で読めず、特に「可合」の意味が気になりました。「悪くはない」って事かな、と思っていましたが、後日、台湾の友人に...